笠間日動美術館:学芸員便り

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■別館 春風萬里荘のご紹介

2023年10月18日

大人の休日倶楽部のCM 茨城県「笠間の小さな秋篇」で撮影いただいた笠間日動美術館の別館 春風萬里荘と北大路魯山人についてご紹介します。
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*縁側では抹茶をいただくことができます。

笠間市は、古くから稲荷と焼き物の町として広く知られてきましたが、実は市内には多くの恵まれた自然環境が広がっています。「芸術の村」は、市街地を包むようにして広がる緑濃い丘陵地にあります。

(*「芸術の村」とは:昭和39(1964)年、洋画家・朝井閑右衛門と小説家・田村泰次郎が、笠間日動美術館を創設した長谷川仁前理事長と笠間を訪れた折り、笠間にアトリエを作りたいという作家達の要望から、「芸術の村」の構想があがり、作られました。)

昭和40年(1965年)には、北大路魯山人が住居としていた約300平方メートルの茅葺き民家を北鎌倉より移築し、「春風萬里荘」と名付け、「芸術の村」は開設されました。(「春風萬里」とは、北大路魯山人が好んで用いた造語です。)

北大路魯山人は、明治16(1883)年、京都に生まれ、はじめ書家として世に出た後、篆刻、絵画、陶芸、漆工芸などの多方面にその才能を発揮しています。昭和34(1959)年、76歳で亡くなり、後60余年以上を経た今もさらにその評価は高まっています。

建物の内部は、魯山人が住んでいたままに残されており、「万能の異才」とうたわれ、万事に凝り性であった魯山人の才を偲ばせる箇所が随所に見られます。

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北大路魯山人(1883-1959)

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魯山人によるステンドグラス

春風萬里荘昔ながらの三和土の土間の左手にある、本来は馬屋であった洋間には、年輪を刻んだ欅の木目を見せた「木レンガ」を敷きつめた床、自然石そのままを組み上げた暖炉、手斧削りの梁の棚板と古いインド風の擬人化された象の首の棚受、さらに奧には自作の陶製便器「アサガオ」があります。

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年輪を刻んだ欅の木目を見せた「木レンガ」

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自然石そのままを組み上げた暖炉

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象の首の棚受

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廃材を活用して制作された長椅子

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魯山人による陶製便器「アサガオ」


風呂場は脱衣所を含めると十畳間程の大きさで、魯山人らしく、長州風呂と上り湯と洗い場がゆっくりとした広さの中に配され、周りの陶板はやはり彼自作のもので、半円筒形の織部陶板が青竹のようにめぐらされ、棕櫚縄でしめられた絵付けがなされています。

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魯山人による風呂場

春風萬里荘茶室「夢境庵」は、千宗旦(千利休の孫)によってつくられた裏千家の名茶室「又隠」を手本として、魯山人が設計したものです。三畳控えの間、四畳半本勝手、洞庫口水屋からなり、床柱は黒柿、長押は南天の樹を用いています。

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春風萬里荘茶室「夢境庵」
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躙り口際の塗り壁になっている部分に貴人口が設けられ、出入りを容易にしています。
これらの魯山人の手になる部分は、彼の「美的空間で日常坐臥を満たさねば、美しいものを生み出せない」との考えの下になされたものです。

この茅葺き入母屋造りの重厚な構えの江戸時中期の民家は、もともとは、現在の神奈川県厚木市近郊の地にあたる高座郡御所見村の豪族で大庄屋でもあった伊東家の母屋であったものを、昭和の初めに北大路魯山人が、北鎌倉・山崎の地にひらいた星岡窯の母屋として、もう一軒の慶雲閣と共に移築し、自らの住居としていたものです。

【★お知らせ】

■10月18日現在、茅葺き屋根の葺き替えの為、クラウドファンディングでのご支援をお願いいたします。  期間:2023年10月1日?12月20日 ご支援はこちらから

■春風萬里荘ではランチの予約を受け付けています。詳しくはこちらから

お申し込みは、ご希望日の前々日までにお電話ください。(予約制)
ランチタイム:11:30ー13:30
一日一組限定で7名様まで。
長屋門のお部屋を貸し切りでご利用いただけます。