笠間日動美術館:館内のご案内
■泉のそばの少女 / オーギュスト・ルノワール (1841-1919)
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《泉のそばの少女》は印象派の画家ピエール・オーギュスト・ルノワールの、46歳の頃の油彩画です。
その制作時からさかのぼること23年前、ルノワールは1874年の第1回印象派展に作品を出品しました。このときにはすでに印象派の画家クロード・モネやエドゥワール・マネたちと親交を結んでいました。30歳代のルノワールは、《ブランコ》や《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場》など、印象派の絵画として有名な作品を、次々と発表していきます。
ルノワールが印象派の技法に疑問を持ち始めたのは、1880年代前半からです。彼はルネサンスの古典主義的な作風を探求し、独自の技法を追求しました。そして1883年に、パリのデュラン・リュエル画廊で個展をひらいて名声を得、1886年にはアメリカで開催された展覧会でも好評を博しました。
この時期、ルノワールは「母性」シリーズとしてたくさんの女性像や裸婦像を活発に描き続けています。そして1887年に、「大水浴図」として知られる裸婦群像の習作シリーズを完成させたのです。この代表作は現在、ルーブル美術館に収蔵されています。
「大水浴図」の完成と同時期に描かれた《泉のそばの少女》は、ルノワールがその生涯で描いた2000点以上の女性像の中でも、最も充実した時期に描かれた1点だと言えます。
ルノワールは次のように語っています。
「私が好きなのは皮膚だ。若い女性の、ピンク色で血のめぐりのいい皮膚なのだ。しかし何といっても好きなのは、健やかさなのだ」と。
《泉のそばの少女》には、ルノワールが求めて止まなかった女性の肌の理想的な表現が、遺憾なく発揮されています。