笠間日動美術館:学芸員便り

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■建物をえがく展 「松本竣介、制作のプロセス」

2008年06月19日

「建物をえがく」展の見どころはいくつもあります。そのひとつが松本竣介のコーナーです。
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松本竣介「Y市の橋」1944年

 展示室1階右奥に竣介作品が15点展示されていますが、じつはこれらの作品を6つのグループにわけることができます。  まず描かれている場所別に5つ、そしてこれらの作品が生まれてきた源泉ともいえる小さな手造りのスケッチブックが1つのグループ、これで合計6つというわけです。
 展示室にはいると、最初に1番奥の壁に同じ場所を描いた4点が見えます。右から2番目は油絵です。セピアのトーンを感じる作品です。この場所にあるのは、水路をまたぐ小さな鉄橋と倉庫のような建物、そしてひとつの黒い人影です。題名に「Y市の橋」とあります。油絵の両脇には同じ題名の素描があって、建物が大きかったり、人影が小さかったり、人のそばに荷車が書き込んであったり、少しずつ違います。
 油絵の「Y市の橋」が描かれたのは1944(昭和19)年、松本竣介は32歳で、最も油の乗った時期でした。しかし、日本は、無謀な太平洋戦争の末期にさしかかって、空爆下に生活物資さえ欠乏し、画材も配給制でした。だから竣介は自分の手で小さなスケッチブック帖を造ったのでした。この手帖に書きとめたスケッチから何段階もの素描を経て作品の骨組が決まると、油絵の制作に移ります。
 極限状況の中で、一人の画家がどのように街を見つめ、どのように作品化していったのか、そのプロセスを読み取っていただければ幸いです。(Y.Y)