《フジタとエコール・ド・パリ》
西ヨーロッパの中心に位置するフランスでは、地理的優位性からさまざまな文化を受け入れ、融合してきました。
二つの大戦に挟まれた僅か10年ほどの間、パリのモンパルナス地区にはさまざまな国から集まった多くの芸術家たちによって、異彩を放つ文化が花開きました。とくに絵画の分野では、「エコール・ド・パリ」と呼ばれる潮流が形成されました。
そこには美術史を彩る個性豊かな作品群が残されました。
パリは19世紀末の印象派の登場により世界の美術の中心となり、多くの画家の留学を受け入れました。
ピカソはバルセロナよりパリにやって来て、続くようにイタリア出身のモディリアーニ、ロシアのシャガールとスーチン、ポーランドのキスリング、オランダのヴァン・ドンゲン、ブルガリアのパスキン、そして日本からはフジタらが集まったのです。
フランス国内からもヴラマンク、ローランサン、ユトリロなどが仲間となり、近代フランス絵画は豊かな幅広い流れとなっていきました。
シャイム・スーチン「路上の二人の子供」1939年
1920年代パリ。
それはヘミングウェイの『移動祝祭日』に言い表されています。
《もし君が幸運にも青年時代にパリで暮らしたならば、君が残りの人生を何処で過ごそうとも、パリは君についてまわるだろう。なぜならパリは移動祝祭日だからだ》
毎日がお祭りだったのです。
・・・しかしそれは「狂乱の時代」でもありました。
ジュール・パスキン「若いムラート」1927年
フジタは当時、最も有名な日本人といっても過言ではありませんでした。
多くの日本人がパリに勉強に来ていましが、フジタは、パリで一流と認められるために来ていました。
そして認められたのです、社交界の寵児と言われるまでに・・・。 (KK)
展覧会ではフジタ作品のほか、モディリアーニ、ユトリロ、スーチン、ローランサン、ヴラマンク、ピカソ、シャガール、キスリング、パスキン、ヴァン・ドンゲンの作品が御覧いただけます。