《藤田嗣治画伯新帰朝第1回展覧会》
「フジタとモンパルナスの仲間たち」では、スペインのアストゥリエス美術館の所蔵品や国内の秘蔵コレクション、またモンパルナス美術館より提供された画家たちのスナップ写真が展示され、来館者に好評をいただいています。
本展では、フジタの画業を、裸婦、子どもたち、肖像、その他に分けて展示、くわえて、フジタと日動画廊の関わりを紹介しています。今回は、本展の隠れた見どころとして、戦前の日動画廊で開催された「藤田嗣治画伯新帰朝第1回展覧会」の招待状について、お話ししましょう。
今から75年前、昭和8(1933)年11月のある日のことです。数寄屋橋の日動画廊にオカッパ頭にロイド眼鏡、着流し姿の男がぶらりとあらわれました。
この画廊の主、長谷川仁(当館創設者、1897-1976)は、新聞で報じられていた新帰朝の画家、藤田嗣治(フジタ)であることに気付き、すぐさま挨拶を交わしました。これが47歳になる巨匠フジタと、10歳ほど年少の長谷川との出会いでした。この日、長谷川は心を開いて美術界の近況などを語り、ついには個展の開催を願い出ました。フジタはしばし考慮し承諾したといいます。
個展開催中の日動画廊前で、フジタと長谷川仁、林子夫妻(1934年)
個展の会期を翌年の2月15日から24日と決めてからは、パンフレットや和・仏2ヶ国語のヴェルニサージュ(前夜祭)の招待状を作成するなど、多忙を極める日々が続きました。しかしその甲斐あって、初日のヴェルニサージュには著名人も顔を見せ盛況であったそうです。また会期中に「藤田嗣治氏に物を聴く会」を催し、入場料50銭で聴講者を募るなど、当時、類を見なかったこれらの趣向は、関係者の目を丸くさせました。
日動画廊ではその後も第二次世界大戦中まで、フジタの個展やフジタ主導の二科系グループの展覧会を度々催し、これらの体験は長谷川を画商として大いに成長させました。
本展に展示してある戦前の招待状は、パリで一世を風靡したフジタの趣向や、日本における洋画商の草創期をうかがえる貴重な資料のひとつです。(KA)