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企画展履歴

金子コレクションから見た金山平三の世界

日本・アメリカ館1F 特別展示
2008年9月13日(土)〜11月30日(日)

金山平三(1883-1964)は、優れた色彩表現と安定した画面構成によって、日本の風景を卓越した技法で描いた画家です。また、画材を厳選するなど、生涯を通じて油彩画のマティエールを探求しました。とりわけ、山形県大石田を描いた「雪景色」は、「日本人が見た日本の風景」として、高く評価されています。

金山平三
「残雪(山形)」
金山平三
「雪深し」1945-56年

大石田の旧家に生まれた金子阿岐夫氏は、孤高の人として知られる金山平三の人間性に感銘を受け、長年にわたりその作品を収集してこられました。また、阿岐夫氏の父君は、歌人斉藤茂吉(1885-1953)を介して金山平三と親交し、大石田での制作を支えた人物です。

金子氏の全面的な協力により開催される今展では、金山が心から愛した大石田をはじめとする風景画を中心に展示します。清澄な金山作品をお楽しみいただくと同時に、作家とコレクターの崇高なる関わりまでを、ご覧いただこうとするものです。

金山平三
「小菊」1935-45年頃
金山平三
「最上川雪景」1945-56年
展覧会名「金子コレクションから見た金山平三の世界」
会 場笠間日動美術館日本・アメリカ館1階(茨城県笠間市笠間978-4)
主 催財団法人 日動美術財団
会 期2008年9月13日(土)〜11月30日(日)
開館時間午前9時30分より午後5時(入館受付は4時30分まで)
休館日毎週月曜日
同時開催「フジタとモンパルナスの仲間たち」企画展示館

金山画伯の思い出
金子阿岐夫

昭和21年1月31日、前日大石田に転居した歌人斎藤茂吉先生を囲み、数人の友人を招いて父は小宴を開いた。金山画伯もお出でになり、宴酣のころは日本舞踊を披露なさった。はじめてお会いした画伯の風貌は、私にとっては異国の人、品の良い異邦人であった。日本人離れ(山形人離れと言うべきかも知れない)した容姿は、その山羊髯とともに印象深いものであった。しかしその笑顔はとてもやさしく、明るく、親しみを覚えた。

此の年の6月、茂吉先生の病気も全快に近く、見舞いに来た人々は「お元気になってなによりです。芭蕉に負けない歌を作ってください」と励まし、先生は「はい、そうですね。」と答えておられた。しかしこの人々は他人には、「先生は『芭蕉に負けない歌を作るんだ。』と仰言った。」と話したものであった。些か違和感を抱いたが、大人とはそういう言い方をするのかと思っていた。そんな時偶然画伯と路で会い、歩きながら色んな話をした。その中で画伯が私に「おじいさんどうしてる?」とお尋ねになった。「おじいさん」とは茂吉先生の事であり、私は「元気になられて『芭蕉に負けない歌を作る。』と言っています。」と答えた。そしたら画伯は突然ぴたっと足を止め、私の方に向き直って「おじいさんはそんな事考えていないよ。」と、とてもきつい口調できっぱりと仰言った。私には脳天への一撃であったが、心の内では疑念のふっ切れた思いがして、恐かったがほっとしたものだった。まさにその通りで、実際に茂吉先生が「芭蕉に負けない歌」などと言った事は一度もなかったのである。求道者に勝ち負けなど心外な事であり、名人は名人を知るという事であった。

昭和22年画伯は横山から大石田に転居なさった。この時数十点の絵をリヤカーに積んで運んだ。画伯の絵を目にしたのは此の時が初めてであり、深い感銘を受けた。当時19歳の私には、難しい事はわからなかったが、その絵に気高さ、清らかさ、心に沁みる光と色を感じた。穢れのない純一無雑な美しさ、しかも柔らかさと温かさがあり、森羅万象の持つ美がとても素直に描かれていると感じたのであった。

画伯没後もう45年、大石田の風景は大きく変ってしまったが、最上川は変る事なく流れている。

平成20年7月記

金山平三
「薔薇」1935-45年頃
金山平三
「奥入瀬の渓流」1945-56年頃
金山平三
「桜桃」1945-56年
金山平三
「あま鯛」1945-56年頃