■「日本近代洋画への道」見どころのご紹介(2)
2008年12月25日
川村清雄「ベニス風景」 明治9-14年(1876-81)頃
1876年(明治9)24歳の川村清雄はベネチアに着きました。幕臣の子であった清雄は明治維新により辛酸を舐めましたが、勝海舟らが新政府にかけ合い留学が実現しました。官費ではなく、旧幕臣の子弟を慮った徳川家の援助を得ての留学でした。
十代の頃より川上冬崖の門に入るなど西洋画法を学んでいた清雄は、最初期の留学生として法学習得の為の米国出立でありましたが、暫くして絵を学ぶ決心を固めパリ経由でベネチアに行くことになりまし。しかし、すでに日本を発って5年の歳月が過ぎて帰国命令も受け、生活費にも苦しくなっていた頃でしたが、当時の大蔵省より紙幣デザインの画学修業の名目で官費を与えられることになり、残留を許されたのです。
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■「日本近代洋画への道」見どころのご紹介(1)
2008年12月13日
高橋由一「鮭図」明治12ー13年(1879ー80)
高橋由一は文政11年(1828)、佐野藩の江戸屋敷に生まれました。はじめ日本画を学びますが、西洋の石版画に感銘を受け、文久二年(1862)に番書調所画学局に入り、慶応2年(1866)、『イラストレーティッド・ロンドン・ニューズ』の特派員ワーグマン(英人)に実技の指導を受けています。1878年のパリ万国博覧会に出品、また私画塾を開いて、後進の指導にもあたりました。一貫して写実を追及し、日本近代洋画における先駆者として、高い評価を得ています。
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■「フジタとモンパルナスの仲間たち」見どころのご紹介(番外)
2008年11月17日
《評価されるフジタ研究 2冊の著書》
「フジタのアトリエ物語」をご講演をいただいた林洋子先生が、11月14日、第30回サントリー学芸賞を受賞されました。
レオナール・フジタは、82年の生涯に膨大な作品を残しました。林先生の受賞作『藤田嗣治 作品をひらく』は、旅・手仕事・日本をキーワードに、その画業を検証した労作。参考図版が多数掲載され、わかりやすく構成されています。
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■「フジタとモンパルナスの仲間たち」見どころのご紹介(4)
2008年11月13日
《フジタの挿画本の世界》
フジタのあまり知られていない仕事に、豪華本の挿絵がありました。
木版、銅版、石版の技法で、約50冊を残しました。
乳白色の裸婦を描いた、しなやかで正確で、毛髪のように細く、そして鋭い・・・
共通の「線」がそこにはあります。
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■「フジタとモンパルナスの仲間たち」見どころのご紹介(3)
2008年11月13日
《パリに学んだ日本人画家たち》
大戦景気に沸いていた第一次世界大戦直後の1920年代初頭、日本では国力の高まりを背景に、芸術の分野でも多くの日本人がパリに渡りました。一時期、400人の日本人がいたといわれます。
その筆頭がフジタでした。大戦後に復活した「サロン・ドートンヌ」で大成功をおさめたのです。
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